淡路島を震源とする地震の被災地踏査報告
竹平 元則(兵庫県 防災士)
淡路島を震源とする地震の被災地踏査報告
平成25年4月13日(土)5時33分発生の地震に対する被災地の報告をします。
地震の概要
震源地:淡路島付近(北緯34.4度、東経134.8度) 深さ15キロ
規模等:マグニチュード 6.3
震度6弱 淡路市 5強 南あわじ市 5弱 洲本市 大阪府岬町 津波の心配はなし
(兵庫県発表)
地震発生の翌日14日(日)兵庫県支部の有志で現地入りしました。
9:00
兵庫県防災士会会員の無事を確認。
被害はあるものの、消防と連携して対応に当たっているとのことで一安心。
淡路市社会福祉協議会本部・津名支部(淡路市志筑)にて情報収集。
淡路市では現時点で災害ボランティアセンターの開設予定なし。
過去に水害を起こしている志筑川沿いの家屋に被害が集中とのこと。
近隣の家屋は、築100年を超える所もあり、屋根瓦の落下や外壁の損壊がみられた。

★ 外壁の落下 ★ 地割れ


9:40
八幡神社付近
過去に何度も浸水被害が出ている地域だけに、新しく建て替えられた家も多くあった。
耐震構造の家屋では、外見は何も被害がなさそうに見えるが、家の中の土壁やタイルが落下し床の傾きなどから揺れの強さを感じた。
阪神淡路大震災より揺れた時間は短かったものの、被害は今回の方がひどかったと住民は肩を落としていた。
屋根が一部破損した家の住人は、「年寄り4人だけだから不安。近くに頼れる若い人がいない」と話していた。
近くの電気屋では、店内の棚が倒れ、電化製品等の商品が散乱。
備品倉庫も足の踏み場がない状態でしたが、次々と修理依頼の電話がかかり、店内の片づけが出来ない状況で近隣の復旧に向かっていた。




10:40
志築新島にあるショッピングセンターなども液状化の跡がみられた。水は引いたものの、湧き上がった砂が路を白くしていた。
一部損壊の家屋でスコップを持ち復旧作業に追われている傍で、市長選の街頭演説をしている候補者たちには、被災者の叫びが聞こえないのだろうか・・・
いつ余震が来るかわからない不安と、天気が悪くなるからそれまでに対処をしないとと焦る被災者の気持ちを逆なでするかのように演説でマイクを握り大きな声を張り上げていた。
これでは、緊急時の放送も聞こえないだろう・・・


11:10
淡路市役所から少し離れた「淡路市防災あんしんセンター」に危機管理室があり、ここで淡路市の被害状況確認。
被害状況を知りたいと伝えると、すぐにデータ化した書類を出していただけた。
・人的被害
・家屋被害(地名別)
・避難者情報
・都市整備関係(道路・河川・市営住宅等)
・産業振興部関係(農業用施設・観光施設等)
・上下水道部関係(断水・漏水)
・健康福祉部関係(福祉施設・保育園)
・教育委員会関係(学校・教育施設)
・市民生活部関係(焼却場・火葬場)
・企画部関係等に細かく分類され、被害状況と復興状況が1枚の紙で読み取れた。
11:30
洲本市の八幡神社付近で、一部損壊の家屋が目立った。
八幡神社の石碑が倒壊していたため調べていた時、町内会長の奥様が声をかけてきて「鳥居が地震でずれてしまっている」と心配されていましたので、余震等で落下の可能性があるため一刻も早く警察に連絡して規制線をはってもらうよう伝えた。
翌日、15日のニュースで、鳥居に足場が組まれ作業が進められている所が流れていて一安心・・・
神社の近くに住むお婆さんは、「1人暮らしなのでとても怖かった。災害用のアラームもならなかった。揺れた瞬間、南海トラフ地震だと思い裏山に逃げようと思ったが、怖くて動けなかった。一人だとテレビをつけるのもこわく何も出来なかった。まだまだ不安で眠れない」と話をされていました。
家の中も外も亀裂が入ってしまったが、食器棚などは転倒防止をしていたため、助かったとのこと。


12:45
洲本市炬口漁港にある公園前に震災廃棄物の処分場あり。
13日10:00~開設し、住民にはケーブルテレビを使って呼びかけていた。住民は車でガレキや家具・食器等の廃棄物を運んで来ていた。
処分場の案内・仕分け担当の職員は2名体制で運ばれてきた廃棄物の仕分けに追われている。 気になったのが、かなり古いブラウン管テレビが多数持ち込まれていたこと。職員に「震災前から処分に困っていたテレビを、この機会にと持ってきているのでは?」と聞くと「きっとそうだと思います。」と苦笑いをしていた。

13:15
洲本市役所の危機管理室にて情報収集。被害状況のデータは、会議資料に書きこんだものしかないとの事で、資料をみせていただいた。
ここで気になったのは、ほとんどの小学校の体育館が被災していたこと。避難所となるべく体育館の天井崩壊・内壁剥離・連絡通路の損壊等が書かれていた。避難所の見直しや第二・第三の避難所を確保するよう今後の課題となるでしょう。
13日の午前中からブルーシートの無料配布を実施し、市役所前まで取りに来られた住民にブルーシートを配布していた。しかし、高齢化が進んでいる地域では、取りに来られない方も多くおられ、この状態では被災者全員には行き届かないと思えた。
1日目に約1000枚のブルーシートが配布されたようだが、土嚢が足りておらず、土嚢袋の手配で職員は忙しそうだった。




13:40
洲本第一小学校
小学校のグラウンドに断層のような亀裂が入っているとのニュースが流れているため、沢山のテレビ局や京都大学・徳島大学・愛媛大学の教授などが詰めかけていた。
耐震化が済んでいた校舎は持ちこたえたが、液状化でグラウンドが沈下してしまっているとのこと。
30mにわたる亀裂は校舎の一部を損壊し、あちこちに「きけん」の紙が貼られていた。子供たちがグラウンドで遊んでいる最中の地震でなくてよかったと思うくらい、大きな亀裂を中心に多数の亀裂が走っていた。小学校のグラウンドばかりが取り上げられていたが、隣接する市立第一幼稚園にも亀裂が伸び、砂場や遊具が一切使えない状況でした。亀裂はあるものの、校舎内には目立った損壊はないため、学校側は月曜日から通常通り登校させるとの事でした。
取材陣の中に東京のローカルTVの取材で来ていた室崎益輝先生がおられ、嬉しいことに「防災士も来てるねって見てましたよ」と、お声をかけていただきました。先生は、関西学院大学の教授を3月末で退職して、これからゆっくり東北の被災地で過ごすと語られていた矢先での震災でした。室崎先生は「これから起こる大震災の予行練習となるいい機会ですね。しっかり検証して改善していかなければいけない」と穏やかに語った。



15:30
南あわじ市役所の危機管理室にて情報収集
南あわじ市では、取りに来られない住民もいるだろうと、職員がブルーシートを配布してまわった。家屋の損壊は39戸と少なく施設関係はクラックがある程度だとのこと。
震災廃棄物のガレキは市営産廃処理場、家具はリサイクルセンターが請け負った。危機管理室に今まで訪ねてきた所の現状をお伝えした中で、他の市で行われているデータ管理や住民への対応等を是非取り入れたいと前向きに検討を始めてくれた。
南あわじ市では、被害が少なかったからか、震災翌日にもかかわらず海岸沿いではだんじり祭りが行われていた。
同じ淡路島で災害が起こっているという雰囲気は見受けられなかった。
自助・共助を身をもって体験し伝えてきた土地だけに、まだ市外のボランティアに対して応援要請をしていませんが、今後も現地に入りニーズを聞いていけたらと思います。
最後に今回の地震被害に遭われた方の1日も早くの復旧・復興をお祈り申し上げます。
― 以 上 ― (文責:竹平元則)
淡路島を震源とする地震の被災地踏査報告
平成25年4月13日(土)5時33分発生の地震に対する被災地の報告をします。
地震の概要
震源地:淡路島付近(北緯34.4度、東経134.8度) 深さ15キロ
規模等:マグニチュード 6.3
震度6弱 淡路市 5強 南あわじ市 5弱 洲本市 大阪府岬町 津波の心配はなし
(兵庫県発表)
地震発生の翌日14日(日)兵庫県支部の有志で現地入りしました。
9:00
兵庫県防災士会会員の無事を確認。
被害はあるものの、消防と連携して対応に当たっているとのことで一安心。
淡路市社会福祉協議会本部・津名支部(淡路市志筑)にて情報収集。
淡路市では現時点で災害ボランティアセンターの開設予定なし。
過去に水害を起こしている志筑川沿いの家屋に被害が集中とのこと。
近隣の家屋は、築100年を超える所もあり、屋根瓦の落下や外壁の損壊がみられた。


★ 外壁の落下 ★ 地割れ




9:40
八幡神社付近
過去に何度も浸水被害が出ている地域だけに、新しく建て替えられた家も多くあった。
耐震構造の家屋では、外見は何も被害がなさそうに見えるが、家の中の土壁やタイルが落下し床の傾きなどから揺れの強さを感じた。
阪神淡路大震災より揺れた時間は短かったものの、被害は今回の方がひどかったと住民は肩を落としていた。
屋根が一部破損した家の住人は、「年寄り4人だけだから不安。近くに頼れる若い人がいない」と話していた。
近くの電気屋では、店内の棚が倒れ、電化製品等の商品が散乱。
備品倉庫も足の踏み場がない状態でしたが、次々と修理依頼の電話がかかり、店内の片づけが出来ない状況で近隣の復旧に向かっていた。








10:40
志築新島にあるショッピングセンターなども液状化の跡がみられた。水は引いたものの、湧き上がった砂が路を白くしていた。
一部損壊の家屋でスコップを持ち復旧作業に追われている傍で、市長選の街頭演説をしている候補者たちには、被災者の叫びが聞こえないのだろうか・・・
いつ余震が来るかわからない不安と、天気が悪くなるからそれまでに対処をしないとと焦る被災者の気持ちを逆なでするかのように演説でマイクを握り大きな声を張り上げていた。
これでは、緊急時の放送も聞こえないだろう・・・




11:10
淡路市役所から少し離れた「淡路市防災あんしんセンター」に危機管理室があり、ここで淡路市の被害状況確認。
被害状況を知りたいと伝えると、すぐにデータ化した書類を出していただけた。
・人的被害
・家屋被害(地名別)
・避難者情報
・都市整備関係(道路・河川・市営住宅等)
・産業振興部関係(農業用施設・観光施設等)
・上下水道部関係(断水・漏水)
・健康福祉部関係(福祉施設・保育園)
・教育委員会関係(学校・教育施設)
・市民生活部関係(焼却場・火葬場)
・企画部関係等に細かく分類され、被害状況と復興状況が1枚の紙で読み取れた。
11:30
洲本市の八幡神社付近で、一部損壊の家屋が目立った。
八幡神社の石碑が倒壊していたため調べていた時、町内会長の奥様が声をかけてきて「鳥居が地震でずれてしまっている」と心配されていましたので、余震等で落下の可能性があるため一刻も早く警察に連絡して規制線をはってもらうよう伝えた。
翌日、15日のニュースで、鳥居に足場が組まれ作業が進められている所が流れていて一安心・・・
神社の近くに住むお婆さんは、「1人暮らしなのでとても怖かった。災害用のアラームもならなかった。揺れた瞬間、南海トラフ地震だと思い裏山に逃げようと思ったが、怖くて動けなかった。一人だとテレビをつけるのもこわく何も出来なかった。まだまだ不安で眠れない」と話をされていました。
家の中も外も亀裂が入ってしまったが、食器棚などは転倒防止をしていたため、助かったとのこと。




12:45
洲本市炬口漁港にある公園前に震災廃棄物の処分場あり。
13日10:00~開設し、住民にはケーブルテレビを使って呼びかけていた。住民は車でガレキや家具・食器等の廃棄物を運んで来ていた。
処分場の案内・仕分け担当の職員は2名体制で運ばれてきた廃棄物の仕分けに追われている。 気になったのが、かなり古いブラウン管テレビが多数持ち込まれていたこと。職員に「震災前から処分に困っていたテレビを、この機会にと持ってきているのでは?」と聞くと「きっとそうだと思います。」と苦笑いをしていた。


13:15
洲本市役所の危機管理室にて情報収集。被害状況のデータは、会議資料に書きこんだものしかないとの事で、資料をみせていただいた。
ここで気になったのは、ほとんどの小学校の体育館が被災していたこと。避難所となるべく体育館の天井崩壊・内壁剥離・連絡通路の損壊等が書かれていた。避難所の見直しや第二・第三の避難所を確保するよう今後の課題となるでしょう。
13日の午前中からブルーシートの無料配布を実施し、市役所前まで取りに来られた住民にブルーシートを配布していた。しかし、高齢化が進んでいる地域では、取りに来られない方も多くおられ、この状態では被災者全員には行き届かないと思えた。
1日目に約1000枚のブルーシートが配布されたようだが、土嚢が足りておらず、土嚢袋の手配で職員は忙しそうだった。








13:40
洲本第一小学校
小学校のグラウンドに断層のような亀裂が入っているとのニュースが流れているため、沢山のテレビ局や京都大学・徳島大学・愛媛大学の教授などが詰めかけていた。
耐震化が済んでいた校舎は持ちこたえたが、液状化でグラウンドが沈下してしまっているとのこと。
30mにわたる亀裂は校舎の一部を損壊し、あちこちに「きけん」の紙が貼られていた。子供たちがグラウンドで遊んでいる最中の地震でなくてよかったと思うくらい、大きな亀裂を中心に多数の亀裂が走っていた。小学校のグラウンドばかりが取り上げられていたが、隣接する市立第一幼稚園にも亀裂が伸び、砂場や遊具が一切使えない状況でした。亀裂はあるものの、校舎内には目立った損壊はないため、学校側は月曜日から通常通り登校させるとの事でした。
取材陣の中に東京のローカルTVの取材で来ていた室崎益輝先生がおられ、嬉しいことに「防災士も来てるねって見てましたよ」と、お声をかけていただきました。先生は、関西学院大学の教授を3月末で退職して、これからゆっくり東北の被災地で過ごすと語られていた矢先での震災でした。室崎先生は「これから起こる大震災の予行練習となるいい機会ですね。しっかり検証して改善していかなければいけない」と穏やかに語った。






15:30
南あわじ市役所の危機管理室にて情報収集
南あわじ市では、取りに来られない住民もいるだろうと、職員がブルーシートを配布してまわった。家屋の損壊は39戸と少なく施設関係はクラックがある程度だとのこと。
震災廃棄物のガレキは市営産廃処理場、家具はリサイクルセンターが請け負った。危機管理室に今まで訪ねてきた所の現状をお伝えした中で、他の市で行われているデータ管理や住民への対応等を是非取り入れたいと前向きに検討を始めてくれた。
南あわじ市では、被害が少なかったからか、震災翌日にもかかわらず海岸沿いではだんじり祭りが行われていた。
同じ淡路島で災害が起こっているという雰囲気は見受けられなかった。
自助・共助を身をもって体験し伝えてきた土地だけに、まだ市外のボランティアに対して応援要請をしていませんが、今後も現地に入りニーズを聞いていけたらと思います。
最後に今回の地震被害に遭われた方の1日も早くの復旧・復興をお祈り申し上げます。
― 以 上 ― (文責:竹平元則)